ADHDなホテヘル嬢のやらかし日記

発達障害(ADHD)を抱える女子のやらかし放題な日常を綴ります

ADHD診断までのわたし★その2

 

会社を辞める決意をしたわたし。

 

上司に

 

「おまえ世の中甘く見るなよ」

 

というとってもとっても有難いお言葉を頂くも無事退職決定。

 

 

普通は退職決定から退職までの間転職活動をするかと思いますがその時のわたしは日々の業務の自分のミスの多さから自分を奮い立たせることと責めることに疲れ果ててそんな気力が起こらず。

 

 

無事次が決まらないまま退職日を迎えました。

 

 

そしてとりあえずハローワークへ行くも、当時20歳、勤続年数が3年未満なことがあり、職業相談で

 

「なんでやめちゃったの!」

 

 

と叱られる始末。

 

 

悲しみに打ちひしがれながら、先に会社を辞めた同僚から

 

「●●オフでバイトしてるけどめっちゃ楽しいぜ!」

 

という情報を聞き、某中古用品店でバイトをする事に。

(同僚とは同系列の別店舗でした)

 

 

それと同時に、バイトの給料だけじゃやばいから何かお金を稼がないと、と躍起になりました。

 

 

夜、働いてみようかな。

 

 

でもわたしコミュニケーション苦手だからキャバクラは無理。

風俗は病気が怖い。

 

 

そんなわたしが選んだ仕事は

 

「チャットレディ」

 

でした。

イメージとしてはUstreamニコニコ動画?みたいな感じ。

カメラの前でオ●ニーするのですw

視聴人数×人数でポイントが貰えて、それがお給料になります。

 

いかに魅力的なパフォーマンスをしつつ時間を引っ張れるかがポイント!

 

 

これなら対面しないし、コミュニケーションは画面上だけ

相手の顔は見えないのです

(相手からのコンタクトは基本チャット=文字のみ。相手もビデオチャットしてくることもあるけど別料金がかかるためほとんどいませんでした)

 

わたしはこれといって才能はありませんでしたが事務所に所属したおかげでなんとか稼がせてもらってました

 

 

最初の一ヶ月くらいは良かったのですが、

2ヶ月目くらいからだんだん某中古用品店で病み病みモードが始まってしまいました

 

 

原因は周囲との比較

 

自分は高卒フリーターですが、周りは同い年でMARCHの大学生ばかりでした

 

頭良くて仕事もバリバリこなしててかっこいい

 

 

方やわたしはレジの違算金出しまくるし

簡単な商品の包装も綺麗にできない

高卒で頭も悪い落ちこぼれ

これといった将来のプランややりたいこともない。

 

 

みんな優しくていい人たちばかりでしたが逆のそのプレッシャーに押しつぶされてどんどん病んでいきました

 

 

 

そしてまた「死にたい」が再発。

 

そこでわたしはまた

 

「死ぬくらいなら死んだつもりで行動しよう」

 

の法則を発動させました。

 

一人暮らしをする決心をしたのです。

 

 

当時のチャットレディ事務所で寮を借りてもらって21歳の誕生日直前、

初めての一人暮らしがスタートしました